周回運用は1周40分サイクル・東半分の普通列車はほとんどがオレンジの103系・未更新の初期車も多数在籍... 201系が投入される前の大阪環状線は、103系がヌシとして君臨していました.そして2005年当時は初期車の103系もまだまだ在籍しており、前面のシャンパが省略されていたクハ103-500番台車も健在でした.写真の車両は500番台のトップナンバー車で、京浜東北線用として新製投入されたのち森之宮へ転属.当時すでに車齢が40年に迫る古参車だったためか、201系投入後のかなり早い段階で運用から離脱してそのまま廃車に.運よく生き残った他の500番台車たちも、車齢の高さが影響して2011年までに姿を消しています.
05.01.23/桜ノ宮駅
2001年のダイヤ改正以来、長らくのあいだ普通列車は西半分では10分間隔、そして東半分では桜島線直通と大和路快速が加わって5分間隔で運行されていました.2013年現在ではラッシュ時間帯が中心となった桜島線直通便も、この当時は天王寺−桜島間ピストン運用で昼間時間帯でも普通に見ることができました.車両のほうは側面のサッシ窓が交換されたN40改造車で、このグループの車両たちは201系投入の際に奈良や日根野の古い103系を置き換える目的で生きながらえた車両も多く、写真のクハ103-242も日根野を経て現在は関西線の普通運用を中心に活躍しています.
05.02.24/桃谷駅
普通幕を掲げて東区間を走る221系の大和路快速です.今(2013年)でこそ昼間時間帯は近郊型車両で大勢を占める環状線ですが、2005年の段階では20分に1本しか近郊型車両が東区間の普通運用に入らず、狙わないと乗れない電車でした.この時代は奈良電車区でものちに採用された前面の車番表示は無く、幕のほうも当時天満・桜ノ宮が通過だった関空・紀州路快速との誤乗防止のために、東半分の各停区間では「普通」幕を掲出して走っていました.この姿は関空・紀州路快速が先の2駅に停車するようになった2008年改正で見納めとなり、以降は大和路快速幕のまま大阪以遠も走るようになりました.
05.05.27/桃谷駅
大阪駅に停車している関空・紀州路快速です.当時は関空へのアクセス列車という特色がまだ残っていた時代で、紀州路快速は関空快速のおまけのような扱いとなっていました.この関空・紀州路快速併結の列車は環状線へ直通という性格上、基本5両+付属3両の8両編成での乗り入れで、時間帯に応じて基本・付属編成の行先を交換していました.しかし休日ダイヤの1往復限定で、3両の付属編成同士を併結した関空・紀州路快速の運用が設定されており、写真が6両編成で運用中の関空・紀州路快速でした.なお、223系は後の編成組み換えで4両編成で統一されたため、3+3両で走る姿はもちろん、5+3の8両で走る姿も思い出の光景となっています.
05.07.18/大阪駅
ラッシュ時間帯に入ると関西線に直通する列車は区間快速となり、ここでは森之宮・奈良の103系も221系の助っ人という形で運用に入っていました.103系の区間快速は今(2013年)ほど珍しいものではなく、ウグイス色の103系4連を2本併結した運用が当時は休日ダイヤにも設定されていました.現在も平日ダイヤで奈良区の103系乗り入れ運用は残されていますが、当時4両編成用だった60番台の運用番号は2008年のおおさか東線開業時に6両編成用の運番だった40番台と交換.また、文字が小さいのが大きな特徴だった旧前面方向幕も同じくおおさか東線開業時に交換が行われ、この頃を境に奈良103系の環状線乗り入れ縮小が加速していきました.
05.07.18/大阪駅
車齢の高かった103系のなかで、クハ103形の1桁ナンバー車がこの地点で1・7・9の3両在籍しており、写真のクハ103-7も最古参格を占める1両でした.当時は桜島線用の車両を除いて環状線の103系は201系にすべて置き換えられる予定で、3両とも201系の投入によって環状線を去りましたが、最古参車でありながらもクハ103-7以外の2両は転属によりしばらく現役を続けていました.また、当時は要検の際にも車体全体への塗装が実施されていましたが、非30/40N車に塗装されていたオレンジ色は褪色が特に激しく、入場直前になると写真のように色が落ちていることが一目でわかるような状態になっていました.
05.05.27/桃谷駅
先ほどの褐色が進んだオレンジ色とは対照的に、写真のような出場したての103系は綺麗なオレンジ色をしていました.当時昼間時間帯にを走っていた103系の天王寺行きは下記の例外を除いてはすべて桜島始発で、2001年のUSJ開業時にそれまでの大阪折り返しを桜島まで延長運転する形で運用が組まれていました.このクハ103-67も初期車のうちの1両で、201系による置き換え後は中間の付随車2両を脱車して奈良や日根野へと転属.クハ103-67は日根野転属後も環状線時代に相方だったクハ103-32と組み、そのまま日根野で生涯を終えています.
05.05.27/桃谷駅
白昼堂々環状線外回りを走るウグイス色の103系です.当時の103系乗り入れ車は日中になると奈良や森之宮の各電車区に入庫していましたが、2006年改正までは平日限定で15時台に夕ラッシュ時に備えた送り込みが行われており、大阪城公園始発の天王寺行きとして客扱いをしていました.この日の車両はクハ103-89が先頭の2編成で、クモハ103や40N車を組み込んだ編成など当時の奈良103系はバリエーションに富んでおり、日替わりで様々な併結パターンを見ることができました.似たような送り込み運用は後年に一時復活しましたが、このときは客扱いはせずに天王寺まで回送のまま送り込まれていました.
05.05.27/桃谷駅
本来は阪和線を走っていた日根野の103系8連も、2005年当時は定期運用で環状線に乗り入れを行っていました.この運用は2004年改正で新設されたものの、乗り入れは休日早朝に鳳発着の1往復のみ.環状線内は各駅停車で2008年以降の直通快速と同じ停車駅設定でしたが、当時は関西線直通列車と同じ「区間快速」として運行されていました.実験的要素の強かったこの列車も、翌2006年のダイヤ改正でひっそりと消滅.2008年改正で平日朝ラッシュ用の直通快速として再登場しましたが全車223系での乗り入れとなり、日根野の103系が環状線乗り入れ運用に登板することは二度とありませんでした.
05.03.19/大阪駅
登場したての30N延命改造車です.西日本の延命改造はN40を経て大規模更新の40Nへと移行しましたが、コスト削減を目的としてこの時期には改造内容を簡略化した30N改造が行われていました.写真のクハ103-244も30N改造を受けた車両で、2011年に日根野へと転属し2013年現在も現役で活躍しています.最小限の延命改造に留められた最古参車から原形を留めない改造を受けた40N車まで、幅広い車両が在籍していた当時の103系王国も、このあとの201系投入で未更新の103系を中心に環状線から去ることになり、環状線に残った103系もその顔ぶれは大きく変わっていくのでありました...
05.02.24/桃谷駅