今では北ビルの用地として転用された大阪駅の旧11番線.キハ58系を使用してきた急行"かにカニ但馬"も2002年末からはキハ181系へと置き換えられ、"かにカニはまかぜ"と同じ特急種別に格上げされました.大阪駅に戻ってきたこの日のかにカニ但馬は、後藤から転属してきた国鉄色のキハ181-12が先頭車として繋がれていました.この車両は当時現役だったキハ181形の中でも最古参車でしたが、はまかぜ色に塗り替えられたのち2010年まで活躍.引退後は写真の国鉄色に戻されたうえで旧津山機関区にて保存されることが決まり、(2013年)現在は保存車として余生を送っています.
05.02.13/大阪駅
同じ日のかにカニ但馬に連結されていたキハ181-26です.京都在籍のキハ181系は1998年から写真のような独自塗装に変更が進み、後藤から転属してきた国鉄色車も検査の際にはまかぜ色へと塗り替えられました.2004-2005年シーズン当時ははまかぜ・但馬・北近畿・きのさきと4種類が存在していたこの「かにカニエクスプレス」も、諸般の事情によって翌2005-2006年シーズンはかにカニはまかぜを除いて運行を中止.その後は道路事情の改善で乗客が流出したためか定期列車の増結で済まされることも多くなり、かつてのようなかにカニエクスプレスの大規模展開は見られなくなりました.
05.02.13/大阪駅
ねぶた祭りの時期に合わせて毎年運行されていた急行"東北夏祭り"号です.この当時は大阪発青森行きのみの片道運行でヘッドマークも完備、きたぐに用の583系が夕ラッシュ時の大阪駅に滑り込んでいました.この東北夏祭り号は翌2006年にも設定されていましたが、羽越線の土砂崩れのため全設定日で運転取りやめ.2007年以降は東北夏祭り号の設定が消滅し、2005年が最後の運行になってしまいました.似たような列車として他にもお盆の時期には急行あおもりも設定されていましたが、臨時列車の退潮には逆らうことができず、こちらのほうも2008年シーズンをもって設定が取り消されています.
05.08.04/大阪駅
東京−大阪間を結んでいた寝台急行の銀河は、2005年の段階で最後の定期客車急行となっていました.機関車は東日本・客車は西日本がそれぞれ受け持ち、編成のほうは開放式A寝台・B寝台車のみと、ビジネスホテルや飛行機が全盛の時代に有効打を打つことができない状況での運行が続いていました.3連休中のこの日も編成のほうは2両減車の6両編成で、その後も常連客に支えられるような形での運行が続いていましたが、2008年の春改正であえなく廃止に.田端機関区のEF65も関西地区で見ることができなくなり、銀河が停車していた大阪駅の旧10番線も跡形もなく撤去が済んでいます.
05.07.16/大阪駅
所変わって天王寺駅での1シーンです.ホームそのものは2013年現在も当時とほぼ変わらない姿で使用されていますが、駅に乗り入れてくる車両の姿は8年間のあいだに大きく様変わりしました.休日ダイヤのこの日は、この時すでに珍しくなっていた戸袋窓が残る103系同士が降車ホームの5・6番線を挟んで並んでいました.手前の車両は4連車のクモハ103-109、そして奥に停車中の車両はこの当時8連車で快速用として営業運転に入っていたクハ103-17で、日根野の戸袋窓編成が残り1本となった2006年まではこのような並びを見ることができました.
05.03.05/天王寺駅
特急格上げで当時すでに減便が進められていた今は亡きはんわライナー、2005年に入るとライナー用の381系国鉄色編成はライナー運用にほぼ専属の状態となっていました.サボ受けのところには号車札と特急の指定席表記があらかじめ準備され、ライナー運用の際も特急表示を特に隠すことは無く走っていました.そして、方向幕のほうはJR発足時から使われてきた国鉄様式のものがそのまま搭載されていましたが、こちらのほうは当時くろしお用だった381系も含めてこの写真を収めた直後に西日本オリジナルの黒幕へと交換.数年の時を経て381系そのものも後継車両の登場で追われる身へと変わっていきました.
05.02.17/天王寺駅
2013年現在ではすっかり絶滅危惧種となった客車ジョイフルトレインも、当時はその勢力をまだ残していました.1999年に登場したきのくにシーサイドも、この頃になると本来の活躍場であった紀勢線に留まらず西日本各地の臨時列車に使用されるようになりました.このときは桜井線のICOCA使用開始を記念した臨時列車"ICOCA号"として営業運転入り.特製の前面ヘッドマークや一部が自由席として開放されるなど、かなり気合の入った設定となっていましたが、諸事情によりこの手の臨時列車もこのあとしばらく消滅.きのくにシーサイドも老朽化とともに稼働率が低下し、2007年の夏シーズンをもって引退となりました.
05.03.05/天理駅
国鉄時代の面影が色濃く残っていた奈良駅も、高架化へ向けて大きく動き出し始めました.延期になっていた仮設ホームへの移行も9月に全線完了、急行かすがとして乗り入れを行っていた東海のキハ75系も仮設ホームに登場しました.奈良駅の仮設ホームでは大阪からやってきた大和路快速との連絡も用意され、関西線のフラッグシップ同士が並ぶ光景も展開されましたが、かすがの乗車率は思わしくなく仮駅移行から半年で廃止に.同時にキハ75系の西日本管内への乗り入れも消滅し、奈良駅の高架化を待つこと無く奈良県下から有料優等列車が姿を消しました.
05.09.11/奈良駅
所変わって場所は兵庫県の姫路駅.前年(2004年)末の加古川線電化で追われた気動車たちは、非電化区間の各地に散り散りとなりました.写真のキハ47-30も姫新線で再起を図ることになり、エメナルドグリーンの加古川色が転属前の面影を唯一残してました.このあと、他の車両と同じ姫新線用カラーに塗りなおされたものの新車投入で姫新線からも追われることになり、現在は山陰線米子口を中心に活躍.各地に様々なカラーバリエーションが存在していたキハ40系の地域色も、コストダウンを目的として全車首都圏色に塗装変更されることが決まり、地域色そのものが消滅する時代へと移っています.
05.03.30/姫路駅
在来線は地平駅となっていた姫路駅も、高架化への動きがこのとき大きく進んでいました.地平時代の播但線ホームは頭端式で電化開業によって架線が張られるようになりましたが、ホームには103系がポツンと留め置かれているだけで、列車が来なければ非常に閑散とした姿となっていました.播但線ホームという性質上、ここから発車する列車は寺前方面へ向かうのが基本でしたが、特急はまかぜだけはこのホームを使って方向転換を行っていたため、山陽線ホームの高架線先行移行後も例外的にこのホームから発着していました.この旅情の漂う地平駅もすでに役目を終え、播但線ホームだった用地は新しい駅ビルに転用されました.
05.03.30/姫路駅
国鉄末期の新製投入以来ほぼ不変の布陣だった201系も、30N改造が徐々に進行していました.国鉄時代から黒幕だったためか、西日本様式の新幕への交換はスローペースで進められていましたが、延命改造が進むと国鉄時代の前面幕を搭載する車両を探すことが少しずつ難しくなっていきました.また、転用のほうは年末以降30N改造を受けた車両から順次進み、このあとは転属計画の変更などで塗装を二転三転させる車両が出てきました.201系の環状線投入はこの写真を撮影した半年後、大阪駅の旧7・8番線が使用休止となったのはこの1年後の出来事でした.
05.06.26/大阪駅
7月に入ると待望の新型車両が試運転を開始させました.新型車両に与えられた形式は321系、このあと西日本が製造する電車では基本となった0.5M車を初めて採用した車両として足跡を残しました.新製投入当初は東海道線の車両置き換えが急務だったために、東西線乗り入れに必要なダブルパンタグラフの装備を準備工事のみを済ませた状態で落成し、現在はパンタグラフを2基搭載しているクモハ321-1も、落成から1年ほどは2基目のパンタグラフを搭載せずに走っていました.この321系の営業運転が開始されたのは12月初旬、アーバン線区を巻き込んだ通勤型車両の大移動の号砲が鳴らされた瞬間でした...
05.07.19/茨木駅