18:02 この日降り立ったのは名撮影地として有名な浅香駅、降り立ってすぐにやってきたのは223系の関空・紀州路快速でした.この時代の223系は基本編成が5両・付属編成が3両とされており、ラッシュ時と昼間時でそれぞれの編成の行先を入れ替える形で輸送需要に答えていました.平日夕ラッシュのこの時間帯は前の5両が紀州路快速として和歌山へと向かうダイヤとなっていましたが、当時は快速専従で運用が組まれていた奈良の221系を含めても近郊型車両の数が現在よりも少なく、ラッシュ時には103系や205系を使用した快速列車も頻繁に運行されていました.
06.06.27/浅香駅
18:10 当時は阪和線でも4両編成を2本併結した快速運用が設定され、日根野発着の短距離運用を中心にその輸送力を発揮.運用のほうも特に限定して使用される訳でもなく、分散型クーラーを搭載した写真の冷風車もしょっちゅう快速運用に駆り出されていました.冷風車と呼ばれたこの車両たちはその名の通りクーラーの効き具合が通常の編成よりも悪いうえ、側面方向幕も搭載されておらず、早期淘汰の対象となっていましたが、クモハ103-77〜の写真の編成は羽衣線用の予備車として改造を受けていたため、関西地区の他の冷風車たちが姿を消すなかでもしぶとく生き残り続け、他の編成が羽衣線対応改造を受けた2007年まで現役を続けました.
06.06.27/浅香駅
18:14 玉突き転属によって阪和線にも状態のよい103系が転入してくるようになり、2006年に入ると戸袋窓が残存している編成もクモハ103-109先頭の写真の編成のみとなりました.この時代には東日本で活躍していた103系の置き換えもひと通り完了し、戸袋窓を残した103系を探すこと自体が難しくなっていましたが、クモハ103-109の編成には置き換えの手はまだ及ばず、4連運用がほぼ半減した2008年改正までこのスタイルのまま現役で活躍していました.また、特徴ある車両の多かった当時の日根野区でも戸袋窓残存ということでファンのあいだでは人気が高く、当時のネット界隈では他の編成も含めた見たまま情報が頻繁に飛び交っていました.
06.06.27/浅香駅
18:20 最初に撮影した関空・紀州路快速が通過してから20分、次の関空・紀州路快速が大和川の鉄橋を駆け抜けてきました.1999年改正で新設され、知名度として定着しつつあった紀州路快速も現在のような基幹種別とまではいかず、運行本数もほぼ終日に渡って1時間あたり2本の設定に留まっていました.一方の関空快速は乗車率の低迷で指定席廃止などのテコ入れが行われたものの、当時はまだ関空快速を主体とした運用が組まれており、昼間時間帯には基本編成のみで関西線のJR難波へと乗り入れていたほか、その他の時間帯も天王寺発着の関空快速が1時間あたり1本の割合で設定されていました.
06.06.27/浅香駅
18:23 次にやってきたのはクハ103-24を先頭とする4両編成の普通列車でした.両端をクハ103形で揃えられた4両編成の103系のなかでは最古参格の車両だったものの、中間にN40延命改造車を連結していること以外にはとりたてて特徴は無く、個性派揃いの日根野区のなかで非常に地味な編成でした.この編成は103系の転属が続くなかで活躍を続けていましたが、この1年後に高さ制限を無視した自動車が線路に接触し、天王寺方の先頭車両だったクハ103-23がその場に突っ込んでしまい被災.編成ごと事故廃車という形で各車ともに不幸な最期を遂げました.
06.06.27/浅香駅
18:30 後年の225系投入まで存在していた8両固定編成の快速運用.当時は朝夕のラッシュ時限定で3運用が存在していましたが、205系は2本しか8両編成が組めなかった関係で、あとの1本は宮原や森之宮から転属してきた103系によって穴を埋めていました.しかし、この編成の来歴がかなりの曲者で、中間のモハユニット4両が様々な事情で東日本から購入した車両だったうえ、車端部には東日本タイプの転落防止幌が取り付けられているなど、日根野区の103系でもっとも特異な編成として注目を集めていました.のちに森之宮へと出戻ったサハ2両を除いては2013年までに廃車済みとなっていますが、混乱期を象徴する編成として今も記憶に大きく残されています.
06.06.27/浅香駅
18:31 快速列車の続行として381系の特急くろしおがやってきました.リニューアルによって、国鉄色から当時のフラッグシップだったオーシャンアローに準じた塗装へと変更されましたが、非パノラマグリーン車だった当時のくろしお号は、観光客よりも新幹線連絡を重視したようなこまめな停車駅設定がなされていました.とりたてて特徴が無かったことが災いして、のちに287系が投入された際には真っ先に置き換えの対象に選ばれましたが、注目を集めることも無くひっそりと紀州路から撤退.車両自体は山陰地区の183系を置き換えるために福知山へと転属しており、塗装のほうも転属に合わせて国鉄色へと戻されています.
06.06.27/浅香駅
18:33 森之宮や奈良にも増して古参車が数多く在籍していた日根野の103系のなかでも、当時の6連車には数少なかった後期車が集められており、車齢の若さもあって転属を前後して優先的に40N/30N改造が実施されました.写真のクハ103-842は相方のクハ103-835とともに宮原から追われてきた車両でしたが、201系転属計画変更の煽りを受けて森之宮へと転属.2013年現在は再び日根野へ戻ってきており、スカイブルーの塗装で阪和線を走っています.また、前面方向幕のほうは文字の小さい黒幕化当初のもので、この当時は103系全車にこの方向幕が搭載されていました.
06.06.27/浅香駅
18:35 普段は5両基本編成+3両付属編成で走る223系も、夕方になると3両付属編成を2本繋げた223系が関空快速の運用に入っていました.223系の数もまだ限られていたこの当時に、少しでもラッシュ時向けの輸送力を確保しようとした付属編成同士の併結でしたが、JRオリジナル形式が故にファンからの注目はそこまで集まりませんでした.このような運用は2008年のダイヤ改正まで続けられ、改正時の編成組み換えで全編成が4両となったことで6両編成で走る姿は見納めとなりましたが、この改正を境に関空快速単独運転の本数が削られ、現在では早朝深夜以外のほぼすべての列車が関空・紀州路快速併結の列車となっています.
06.06.27/浅香駅
18:39 当時の私がここを訪れた最大の目的は、国鉄色の381系で走るはんわライナーだったようです.下りのはんわライナーは帰宅時間帯に合わせてのダイヤ設定だったため、夏至前後の時期以外は走行写真を収めることができず、唯一走行写真を撮影することが可能だったのがこのはんわライナー1号でした.2006年当時は朝ラッシュ時に上りが2本、夕ラッシュ時には下りが4本それぞれ運行されていましたが、特急列車の停車駅拡大やチケットレスサービスによる特急券の割引の拡充などではんわライナーはその役割を終え、2011年改正でついに廃止.ライナー用だった国鉄色のモノクラス編成車は、特急こうのとりでの中継ぎ登板を経て全車廃車になりました.
06.06.27/浅香駅
18:42 はんわライナーの通過後もしばらく待っていると、4両編成の205系が駅へとやって来ました.JR発足直後に阪和線用の車両として新製投入された205系は、前面視野窓が国鉄設計のオリジナル車と比べて広く取られており、通勤型車両の新車投入が長期間止まったままだったせいか、本線に321系が入ったこの頃になっても「新車」同然の扱いを受けていました.この年の春に取り換えられた前面方向幕以外はほぼ原形の恰好で営業運転で走っていましたが、時代を経て205系も延命改造を受ける車齢へと差し掛かり、登場当初の姿で阪和線を走る姿はもう見ることができなくなりました.
06.06.27/浅香駅
18:51 この日のラストカットがこの1枚でした.写真に収められている編成はクモハ103-133を先頭とする4両編成で、森之宮からの転入が本格化するまではクモハ先頭の103系もそれなりに在籍していました.しかし、車齢の高さや編成の自由度の低さから両端クハ車と比べて優先的に置き換えが進み、2008年のダイヤ改正でほとんどの車両が消滅.103系の勢力そのものも近郊型車両の増備などによって年々削られるようになり、2011年改正では鳳以南を走る103系の昼間運用が姿を消しました.国鉄形式が華ざかりだった夕方ラッシュの光景も、今となっては少し懐かしい1ページです...
06.06.27/浅香駅