Missing Railroad vol.4 山男最後の冬 〜終焉迫るキハ52・58〜
かつては全国各地の山岳路線でその姿を見たキハ52形.同年代の車両が次々と姿を消すなか、キハ52は自慢の馬力と単行運転可能な機動力を生かして2000年代に入っても活躍を続けてきました.しかし、長年酷使してきた車体は限界を迎え、最後の牙城だった大糸線からもついに去ることに.また、時を同じくして高山線で余生を送っていたキハ58系も引退が正式に決まり、山岳路線を支えてきた両雄の終焉が迫りつつありました.2010年の冬、山男たちの最後を追いました.
早朝の根知駅にやってきた2番列車、この日もいつも通りにキハ52形がやってきました.キハ52形が大糸線にやってきたのは1993年の春.当初は前任地の越美北色のまま大糸線を走っていたキハ52形も、引退の足音が近づいてきたのを機に最後まで残った3両が国鉄時代の塗装へと順次変更されていきました.最後に塗装変更を受けたキハ52-125は青+クリームの旧標準色に.国鉄時代も含めてそれまでキハ52形には塗られなかった色への変更が行われ、復刻塗装のまま最後の冬を迎えていました.このあとキハ52-125はいすみ鉄道への移籍が決定し、国内最後のキハ52形動態車両としてそれまで縁の無かった房総の地へ旅立っています.
10.02.28 / 根知
1993年のワンマン運転開始まで大糸線内を走っていたキハ58系も、イベントや代走の際には度々大糸線内への入線を果たしていました.この日は北陸新幹線建設工事に合わせて撤去されることになった糸魚川の赤レンガ車庫で、現役のキハ52形3両をすべて並べるイベントがあったために高山線を走っていたキハ58系が代走として大糸線に出張.かつては毎日のように止まっていた大糸線ホームに国鉄急行色の姿がそこにはありました.こちらのキハ58も高山線の試験増発用に残された車両だったため、試験増発が終了する2011年春改正での引退がすでに決まっており、運用離脱直前のキハ52形とともに大きな注目を集める車両となっていました.
10.02.28 / 糸魚川
この時のキハ58系はキハ52形所定の昼間運用を代走する運用だったため、イベントが開かれる前後の根知駅ではキハ52形との交換風景を見ることができました.盛岡地区では2000年代まで見られたキハ52+キハ58の交換風景も、両者の引退が迫った2010年になると営業線内で並ぶこと自体が貴重なものに.標準色と急行色の並び自体は津山駅の機関庫にて後年再び実現しましたが、このあと両者が引退するまでお互いが離合する場面は実現せず、JRの営業線内ではこの時が最後の交換となっています.
10.02.28 / 根知
根知駅近くのオーバークロスから眺める大糸線... 豪雪地帯が故に冬は一面銀世界となるこの地にも国鉄急行色が帰ってきました.天気が良ければ北アルプスを一望できるこの撮影地も、時折雨がぱらつくいていたこの日は山々を望むことはできず、山の向こうは雲に覆われていました.最末期のキハ58系は高山線の富山口に運用が限定されていた関係で、猪谷近辺の山間に囲まれた区間は臨時運用でしか入線することが無く、本来の馬力を発揮できる山岳路線を走る姿も珍しくなっていました.このあと引退まで大糸線にキハ58系が入線する機会は無く、結果的にキハ52形の代走を務めたこの日が大糸線ラストランとなりました.
10.02.28 / 小滝−根知
2010年冬の段階で富山運転センターに在籍していたキハ58系は、国鉄急行色2両と高岡色(3代目)2両の合わせて4両のみとなっていました.運用に関しては高山線富山口で当時実施されていた増発試験に関連したもので、平日は朝晩に4往復(うち下り1本は回送)、休日は夜に1往復.比較的平坦な区間の多い越中八尾−富山間を走っていました.この4両は基本的に同じ塗装同士で編成を組んで運用に就いていましたが、2編成が重連を組んで4両編成として入ることがあったほか、まれに国鉄色と高岡色を混結した2両編成で運用入りすることもありました.

編成表(←越中八尾 / 富山→)備考
キハ58-477キハ28-2360国鉄急行色
キハ58-1114キハ28-23463代目高岡色

また、小回りの利かない編成だった代わりに着席輸送力を備えた車両だったため、高山線内で多客が予想される際にはキハ120形の代走運用に就くこともあったほか、前述のように糸魚川に車両を持ってきて大糸線に入線するなど、所定車両の穴を埋める役割も果たしていました.
夜の富山駅に現れた高岡色のキハ58.新幹線開業に合わせた高架化工事の影響で在来線のほうは順次仮設ホームへの移設が進められ、2010年冬の段階では北陸線の上りと高山線は旧ホームに発着していました.高山線を走っていたキハ58系も入出庫時には車両センターと直結している1番のりばに入線していましたが、折り返し運用に入った際には頭端式の3番のりばを発着番線としていました.キハ58系最後の定期運用ということもあって、引退1年前の段階でキハ58を目当てとする撮影者や乗客もちらほら駈けつけており、思い思いに最後のキハ58を楽しんでいました.
10.02.27 / 富山
車内のほうは国鉄色・高岡色の車両とも、にワンマン対応改造を受けた際にラッシュ時の輸送力強化を目的として車端部がロングシートに改造され、つり革の取り付けも行われていました.ただ、クロスシートやデッキなどは廃車されるまで健在で、JR発足後のローカル輸送に徹するキハ58の雰囲気を強く残している点を直に体験できることが特徴でした.写真はキハ58-1114の車内でしたが、お名残乗車に来たファンの方はより迫力のあるエンジン音を楽しもうと、2エンジン車だったキハ58側にどちらかと言えば集まってくる様子も末期は見られたようです.
10.03.01 / 富山
キハ58-1114〜の2両は引退まで3代目高岡色から塗装変更されることは無く、最後の地域色車両として活躍を続けていました.撮影者側からは国鉄色のほうがどうしても人気が高く、非原色車両の宿命としてファンからはどちらかというと嫌われている印象もあった同車ですが、キハ58-1114は後期製造車のパノラマミックウィンドウを備えた最後の車両でもありました.また、前に述べた通り休日ダイヤになると朝ラッシュ時の運用が組まれていなかったために、写真のような日中時間帯の走行写真を記録するには平日ダイヤを狙う必要がありました.
10.03.01 / 婦中鵜坂(臨)−速星
平日の朝ラッシュ運用を終えて一旦入庫したキハ58系が、沿線学校が定期考査の季節に入ると下校時間帯に合わせてキハ120形運用の代走に入ることも度々あり、この日は高岡色のキハ58系が昼前になって富山駅へと再び顔を出してきました.この高岡色の富山側に連結されていたのはキハ28-2346で、車体の状態そのものは4両の中でも比較的良好だったらしく、引退後にいすみ鉄道への移籍車として選定されました.また、キハ58系の背後には富山駅舎や跨線橋も見えていますが、こちらは新幹線の開業工事に合わせてキハ58系引退を前に取り壊されており、富山駅の旧駅舎ともども過去の光景となっています.
10.03.01 / 富山
場面は戻って2月28日の昼間へ.キハ58系が大糸線内の代走運用に就いていたその頃、糸魚川駅併設の赤レンガ車庫ではキハ52形3両を並べた撮影会が行われていました.撮影会が行われた赤レンガ車庫は鉄道院時代に竣工し、キハ52形とともに糸魚川駅の名物遺構として注目を集めていましたが、北陸新幹線のホーム用地として転用されることが決まっており、撮影会が行われたこの日をもって供用終了に.車庫のほうも工事の進捗に合わせて解体が行われましたが、正面のアーチ部分は新駅舎へ組み込まれる形での移築が決まり、引退時に首都圏色だったキハ58-156ともに展示される見込みとなっています.
10.02.28 / 糸魚川
1993年の大糸線転属時には5両体制だったキハ52形も、その後の運用数減少に伴い引退直前には3両体制へ移行していました.塗装のほうも白の車体に緑帯の越美北色のまま変更が行われてきませんでしたが、2004年にキハ52-115が国鉄標準色にされたのを皮切りに順次復刻塗装への変更が行われ、2006年には最終配置時と同じ塗装の組み合わせとなりました.

配置表(全車糸魚川地域鉄道部に常駐)備考
キハ52-115国鉄標準色・廃車後いすみ鉄道に移籍
キハ52-125首都圏色・廃車後糸魚川駅にて保存予定
キハ52-156国鉄急行色・廃車後旧津山機関区にて保存

3両に減車されたあとは車両配置数に余裕が無かったため、臨時運用が行われる際も大糸線内での増結運転が中心となっていましたが、毎年9月に開催されていたおわら風の盆の際には運用に支障のない予備車1両を富山の本所へと戻し、高山線内の増発運転に投入されていました.また、歴史的な価値のあった車両だったために引退後も解体となる車両は1両も無く、全車ともに何らかしらの形で保存が行われていることも大きな特徴でした.
最後まで残った3両のうち、最初に復刻塗装を身にまとったのは写真のキハ52-115でした.標準色そのものは国鉄時代の塗装をそのまま引き継いだ米子支社内で1999年まで見られたほか、東日本管内やのちのいすみ鉄道ではキハ52形の復刻塗装としてこの標準色が選ばれるなど、ファンからは人気の高い塗装でした.また、引退後は旧津山機関区で保存される車両として選ばれおり、現役時代の塗装を維持したまま遠く離れた津山にて山陰ゆかりの形式として保存されています.
10.02.28 / 糸魚川
キハ52形の展示会が終わった赤レンガ車庫には、大糸線の新たなヌシとなるキハ120形の姿がありました.キハ120形そのものは1992年からすでに製造されていましたが、大糸線に関しては急勾配・豪雪地帯を走る過酷な線路仕様のために一度は投入をあきらめていました.しかし、キハ52形の老朽化も限界に近づいてきたために、岡山地区で余剰になっていた車両を耐寒設備を整えたうえで大糸線用車両として転属.キハ52形と同じく転用前の塗装のままで大糸線へとやってきました.キハ52形のラストランで賑やかだった大糸線も、キハ120形登場後はあの頃の喧騒が嘘のように静かなローカル線となっています...
10.02.28 / 糸魚川