Missing Railroad vol.5 飯田線が熱かった夏
愛知県の豊橋と長野県の辰野を結ぶ飯田線.国鉄時代は旧型国電、JR発足後はED18やEF58が牽引するトロッコ列車が格好の被写体として注目を集めていました.トロッコ列車の運行終了後は静けさを取り戻した飯田線も、佐久間レールパークの閉鎖とともに飯田線のヌシだった119系の原色リバイバルが決定.同じく原色に戻された117系も臨時列車として入線を果たし、2009年の夏は久しぶりに飯田線が熱く盛り上がりました.そんな夏の飯田線を、119系が健在だった日常風景も交えて振り返ります.
国鉄時代には旧型国電最後の牙城としてファンの注目を集めた飯田線に119系が投入されたのは1982年、国鉄に編入されてから40年近く待った待望の新型車両でした.登場当初は水色に白帯だった塗装もJR発足後は写真のような白基調のものへと変更されましたが、2両編成で飯田線を走る姿は国鉄時代と同じでした.車齢そのものはこの当時で25年ほどだったものの、置き換えスパンの早い東海管内において119系の引退もすでに既定路線となっていました.
09.09.06 / 野田城−東城
そんな引退の2文字が現実味を帯びてきた2009年の夏.飯田線内に併設されていた佐久間レールパークの閉鎖イベントに合わせて119系の国鉄色が復刻されることが決まり、当時のE4編成が国鉄色への塗装変更を受けて飯田線へと戻ってきました.119系の国鉄色が再び姿を現したのはおよそ20年ぶり、1編成のみの復刻だったため他の編成との併結を組む際には混色編成となりましたが、佐久間レールパークの閉鎖を前に飯田線の遅い夏が盛り上がろうとしていました.
09.08.28 / 豊橋
復刻当初の119系国鉄色は、週末になると佐久間レールパークの輸送運用として豊橋口の運用に重点的に充当され、同じく復刻された117系の国鉄色との並びが実現することになっていたこの日は、朝から中部天竜行きの運用へと入っていました.車両も撮影者も朝から大賑わいになっていた大海−鳥居間の大カーブは当時、飯田線下り列車の撮影名所として国鉄時代から知られている場所でしたが、このカーブ付近が新東名高速道路の建設地として選ばれ、かつての名撮影地も119系とともに思い出のものへと変っています.
09.08.29 / 大海−鳥居
東海管内ではJR発足後の早い段階で消滅した117系の国鉄色も、佐久間レールパーク最後の夏に合わせて復活を果たしました.栄えある復刻編成に選ばれたのはS11編成.この年の春から臨時快速"佐久間レールパーク号"として週末ごとに飯田線に顔を出していた117系も、佐久間レールパークでのイベントに合わせて国鉄色に戻されたS11編成が早速登板を果たしました.レールパーク閉鎖に合わせて舞台が整えられてきた飯田線の熱い夏、役者のほうもこれで全部揃いました.
09.08.29 / 大海−鳥居
佐久間レールパークが併設されていた中部天竜駅に到着した117系は、入れ換え用の線路にて国鉄色車同士で並ぶイベントの準備が行われていました.前面に取り付けられていた特製のヘッドマークはイベントのために取り除かれ、代わりに前面の種別幕に貼りつけられたのは登場当時の快速幕... 対私鉄用の切り札として中京地区にも投入された117系.当時の完全再現とまではいかなかったものの、イベントを待つその姿は「東海ライナー」としてもてはやされていたあの頃の輝きを取り戻すかのような姿になっていました.
09.08.29 / 中部天竜
国鉄時代に中部天竜機関区と呼ばれたこの場所を再利用して生まれたものが、東海保有の保存車両を集めた佐久間レールパークでした.保存車両には特急"しなの"で活躍したキハ181系や飯田線ゆかりのED62形、さらには飯田線で旧型国電として最後の活躍をしてきた関西急電のクモハ52形も展示のラインアップに加わっていました.当初はレールパークへ向かうトロッコ列車が運転されていたこの場所も、今のリニア・鉄道館を名古屋で建設することになったのを機にレールパークの閉鎖が決定.鉄道館へ移設される車両もあった一方でD62形などレールパークと運命をともにする車両も出てくるなど、保存車両の明暗は分かれました.
09.08.29 / 中部天竜
8月最後の週末で賑わっていたレールパークの真横、中部天竜駅の構内ではこの日最大の目玉イベントが行われていました.イベントに使用された車両はともに国鉄色に復刻された117系と119系、普段はなかなか顔を合わせないこの2編成が国鉄時代の塗装で並んだことで、熱い夏の盛り上がりは最高潮を迎えていました.このイベントのあと、レールパークの閉鎖までは国鉄色の117系が飯田線に顔を出すことはあったものの正式なイベントでこの両者が並んだのは両者が引退するまで用意されず、この時の並びが最初で最後の顔合わせとなりました.
09.08.29 / 中部天竜
9月に入ってからもしばらくのあいだは、国鉄色の117系が佐久間レールパーク号の運用へと優先的に投入され続けました.春の運行開始当初は取り付けられていなかったヘッドマークのほうも、月を重ねるごとに次々と新しいヘッドマークが用意されるようになり、最後にはデザインの一般公募も行われるようになりました.佐久間レールパークの閉鎖後も117系の飯田線入線は引退まで度々行われてきましたが、国鉄色のS11編成が再び飯田線に入る機会は最後まで実現せず、レールパーク臨で飯田線を走る姿が貴重な入線経験となりました.
09.09.06 / 野田城−東城
119系置き換え時に飯田線内でも数を増やした313系も、この当時はまだ珍しい存在でした.飯田線の313系運用そのものは豊橋口では製造当初から存在していましたが、115系運用を3連転換クロス車の1700番台で置き換えた際に飯田線北部にも進出を果たし、昼間時間帯に辰野口から車両基地のある豊橋へと戻る運用も組まれていました.大半の運用を担っていた119系がボックスシートのセミクロス車だった飯田線において、飯田線の全区間を走破する写真の列車は乗り得列車としても当時は知られていました.
09.09.06 / 野田城−東城
当時走っていた119系には、置き換え後は見ることができなくなった単行編成も存在していました.製造当初は3両編成として登場した119系も、JR発足後に運用の効率化を目的として中間に組み込まれていた車両を脱車させて先頭車改造を実施.東海では身延線のクモハ123形に続いての単行車両として生まれ変わり、列車本数の多かった豊橋口では単行運用に就いていたほか2両編成と併結して運用に入ることもあるなど、引退直前まで機動力を最大限に生かした活躍を続けていました.
09.08.29 / 大海−鳥居
国鉄色の119系は通常の車両と共通運用が組まれていたため、単行の119系と併結することも時折ありました.119系の置き換えそのものは本線用の車両だった117系から先に行われ、そこから捻出された2両編成の213系や313系を飯田線へ持ってくる形での撤退劇となりました.最後まで残った119系が姿を消したのは2012年の3月.佐久間レールパーク閉鎖で大きく盛り上がったあの熱かった夏から2年半後の出来事でした...
09.09.06 / 野田城−東城