Missing Railroad vol.6 日根野区381系 モノクラス車の晩年
振り子式車両の特徴を最大限に生かして活躍してきた381系.日根野配属車はくろしお用の車両として大半の車両がアコモ改造を受けて華々しく活躍を続けたのとは対照的に、グリーン車を連結していなかったモノクラス車は更新対象から外れ、最後の数年は朝夕のライナー運用を中心に走っていました.後年福知山へ転じたアコモ改造車が国鉄色に塗装変更され、大きな注目を浴びた381系国鉄塗装車.一方で同じ国鉄色を維持したまま日根野からひっそりと姿を消したモノクラス車の記録を集めてみました.
かつてはくろしお用の車両として新宮にまで顔を出していた国鉄塗装の381系も、ライナー用のモノクラス編成のみとなって以降はすっかり影の薄い存在となっていました.乗車整理券310円(廃止時)で乗車することのできた朝夕の"はんわライナー"、わずかなお金で特急用とほぼ同じ車両設備を持った車両に乗車できることもあって、天王寺発の下りライナーは最晩年まで4本設定されていました.通勤客の足に徹する地味な運用ではありましたが、同じ阪和線で八面六臂の働きをしていた103系と並ぶ姿はくろしおで活躍していた当時から変わらず、かつての雄姿を偲ばせる光景となっていました.
06.06.13 / 南田辺
おもに阪和線を走っていた日根野のモノクラス車が、もう一つ担当していた定期運用は朝晩に関西線を走る"やまとじライナー"でした.晩年のやまとじライナーは朝に木津からJR難波へ向かう便が1本、夜に大阪から加茂へ向かう便が2本設定され、夜の運用では大阪駅にも顔を出していましたが、配線の都合でJR難波へ送り込んだうえ新今宮から鶴橋・京橋を経由して送り込まれる複雑な回送経路となっていました.大阪駅の1番のりばに滑り込んでくる381系の定期運用はこの夜のライナー運用のみで、やまとじライナーの廃止とともに見納めとなっています.
06.11.10 / 大阪
381系の方向幕はコマ数に限りがあったためか、ライナーの側面幕はリバース表示幕だったことも特徴でした.幕そのものは上下どちらも使用できるように作られていましたが、大阪行きのやまとじライナーは線路容量の都合で運行された実績は無く、夜にしか見ることのできない方向幕となっていました.また、くろしお用の車両とともに2005年に西日本様式の黒幕へと交換されましたが、リバース表示幕のほうは新しい幕にも引き継がれ、ライナー廃止まで見ることができました.
02.08.09 / 大阪
ライナー運用はその性質から片道輸送だったため、運用を終えた車両はそのまま車両基地のある日根野へと回送されていました.国鉄色の381系が車庫へと戻る姿は阪和線の朝ラッシュ終わりの光景として定着していましたが、運用としては効率の良いものとは言えず、特急列車の停車駅拡大や割引切符の販売拡大を機にライナーの運行体制は徐々に縮小していきました.日根野のモノクラス車は所定運用がライナー関連のものしか存在しておらず、車庫へと戻ったあと真っ昼間に走行する場面はほとんどありませんでした.
07.04.06 / 杉本町−浅香
くろしお用に使用される編成のアコモ改造が終了した段階で、日根野に在籍する381系の国鉄塗装車は下の4編成24両となっていました.この24両は当初、最繁忙期に走る臨時のくろしおにも使用されていましたが、シートピッチの拡大などの更新を受けておらず更新車とのサービス格差が大きかったため、引退直前の数年間は車両不足や大幅なダイヤ乱れによる代走を除いては極力特急運用に入らず、ライナー運用と波動運用に専念していました.

編成表(←大阪・JR難波・天王寺 / 加茂・和歌山→)
クハ381-115モハ381-47モハ380-47モハ381-49モハ380-49クハ381-116
クハ381-127モハ381-82モハ380-82モハ381-91モハ380-91クハ381-137
クハ381-131モハ381-70モハ380-70モハ381-79モハ380-79クハ381-133
クハ381-135モハ381-29モハ380-29モハ381-48モハ380-48クハ381-143

モノクラス車に関しては24両体制の布陣のまま経過していましたが、2011年の運転状況記録装置の取り付け義務化には対応させず、これを契機に稼働率の低かったモノクラス車の廃車が決まりました.引退の地点で国鉄塗装車の381系はこの24両しか存在しておらず、全車廃車をもって営業線上から381系の国鉄色が一度姿を消すことになりました.
381系のアコモ改造が終了したのを機に定期の特急運用からは撤退したモノクラス車も、2000年代前半には臨時のくろしお号としても駆り出されました.前面の回送幕のほうは当初オリジナルの白地幕が残されていましたが、後年行われた幕交換の際に黒地のものへと変更を実施.京都の485系では最後まで標準装備だった白地の前面回送幕も、国鉄色の381系に関しては後藤貸出時にしか見ることのできない組みあわせとなっていました.
01.10.06 / 天王寺
回送幕の写真を撮影してから5分ほどが経ち、客扱いを始めるタイミングに合わせて所定のくろしお幕が掲出されました.阪和線の1番のりばは紀勢線の非電化時代から特急列車の発着に使用され、天王寺駅の連絡線が設置されたあとも臨時列車を中心に天王寺発着のくろしお号が設定され続けました.2000年代前半の一時期は繁忙期の定番となっていた国鉄色のくろしお号も2003年を最後に設定されなくなり、最晩年は特発運転を除いてはくろしお号の運用に登板することが無くなっていたほか、天王寺駅の1番のりばに発着するくろしお号も、新大阪発着便の拡大や紀勢特急の退潮によって2010年代に入ってからはほとんど見ることができなくなっています.
01.10.06/ 天王寺
日根野に在籍していたモノクラス編成がもう一つ担っていた役割が、集約臨や天理臨などの波動運用でした.写真は春や秋の修学旅行シーズンの際に和歌山県内から新大阪駅へと向かう集約臨時列車で、先に引退した165系から役割を譲る形で走っていました.また、車両運用にも余裕があったことから、夏場の天理臨や山陽線を走る金光臨にも登板することがあったほか、東海管内にも乗り入れが可能な点を生かして長野方面へと足を伸ばすこともあるなど、引退直前まで大きな活躍を見せていました.
09.05.27 / 我孫子町
日根野の381系は基本的に吹田工場(当時)で定期検査を受けることになっており、出場直後は京都の485系と同じような綺麗な姿で走っていました.特急用車両の場合は走行距離で検査入りすることがほとんどでしたが、日根野のモノクラス車の場合は朝夕にしか運用が無かったために走行距離を稼ぐことができず、法定年数(4年)での検査入場となることがほとんどでした.検査周期が長かったために写真のように塗装状態のいい国鉄色の381系はなかなか見ることができず、最後の数年間は綺麗な381系を探すのも難しい状況となっていました.
07.08.17 / 東佐野
平城京遷都1300年を迎えた2010年春、関西線を久々に走った特急列車にモノクラス編成の車両が登板することになりました.この時運行された特急"まほろば"は新大阪−奈良間を休日に1往復が設定され、休日ダイヤで運用が存在していなかった381系のモノクラス車が特急運用として使用されることになりました.引退が迫っていたこの時期になると、多客期のやくもや北近畿号の特発代走以外では特急運用に充当されることが無く、関西線を走る特急としてはもちろん、国鉄色の381系としても正調ヘッドマークを用意した特急運用として注目を集めていました.
10.05.04 / 加美−平野
くろしお号の運用を失ってからは特急列車として走ることの無かった梅田貨物線、まほろば号の運行期間中は週末おきにモノクラス車が特急運用として線内を走りました.すぐ脇の梅田貨物駅自体も吹田や百済への機能移転を控えて2010年の段階で貨物駅としての機能を縮小していましたが、梅田貨物線の線路そのものはまだ手つかずで往時の姿をそのまま留めていました.梅田貨物駅が廃止されたのは2013年春、梅田貨物駅近辺の風景が本格的に変わり始めたのはモノクラス車が去ってからとなりました.
10.06.27 / 梅田(貨)−新大阪
先にも述べた通り日根野のモノクラス車は検査周期が長かったため、検査期限の直前になると塗装の褪色が一気に進むのも大きな特徴でした.2009年の当時は要検入場時の塗装省略はまだ行われておらず、検査から出場した際には全検車と同じ再塗装を受けて営業運転へと戻ってきましたが、経費削減に伴う再塗装の省略が行われた最後の1年間は継ぎ接ぎ塗装で営業運転に戻るようになり、末期は要検出場車両を中心に塗装状態の非常に悪い車両がほとんどとなっていました.
09.08.21 / 三国ヶ丘−堺市
平日夜の1番のりばにライナー運用のモノクラス車が発車を待つ姿は、引退直前まで変わることはありませんでした.はんわライナー・やまとじライナーの廃止が発表されたのはこの写真を撮影した1ヶ月後.運転状況記録装置を搭載していなかったため定期運用の消滅はそのまま廃車を意味していましたが、時を同じく485系の引退も迫っていたせいか、381系のモノクラス車ラストランは比較的ひっそりとしたものになりました.ライナー運用の廃止後、381系のモノクラス車は中継ぎとして福知山電車区へ最後の奉公に.日根野を追われたアコモ改造車が国鉄色に戻され、山陰線で再び注目を集めるようになるのはもうしばらく先の出来事でした...
10.11.17 / 天王寺